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NCCアナウンサー  溝田 浩司ブログ:2008年12月

かまぼこ

"認知症とはまだしばらく縁がないものと思い込んでいた。ところが最近、なにかとお世話になってきた伯父が認知症と知り、自分がそんな世代にいることに改めて気づかされた。

死んだ父は、数多い兄弟の中でも一番末の弟だった。故に、近い親戚の多くはすでに他界している。伯父と伯母は、数少ない親戚の一人であるだけでなく、父と母が生前もっとも親しくしていた夫婦でもあった。盆や正月はよく伯父の家で過ごしたし、葬式に一番に駆けつけてくれたのも伯父たちであった。そして、心からの励ましの言葉をかけてくれたのもまた伯父と伯母であった。
いまも実家近くに暮らす伯父が痴呆とわかったのは、脈絡もなくかかってきた1本の電話からだった。その声はいつものように明るく、冗談が好きな伯父そのものだったが、話の内容はまるで別人のようだった。幸い伯母はしっかりしていて、電話口で丁寧に事情を説明してくれた。

伯父は麻生炭鉱で働く炭鉱マンだった。筑豊は戦前戦後と炭鉱で栄えた町だ。盆踊りといえば炭鉱節で、「最後にもう一曲」といってかかる曲は東京音頭ではなく決まって炭鉱節だった。甘いものが好きで、お腹が大きく突き出た立派な体格をしていた。それでも別れるときなどは、いつもかかとを合わせてきちんと背筋を伸ばして見送る人だった。炭鉱時代の伯父は知らない。いつか見せてもらった写真には、ライトのついたヘルメット姿の伯父が写っていた。規則を守り、礼儀正しく、そして何より明るく陽気な人柄が、華やかりし時代の姿をしのばせた。

電話では、息子夫婦に世話になることもなく、なんとか二人で生活している様子だった。幸い体は健康で食欲もあるらしい。しかし、共に80歳を超える老人だ。介護が必要になれば、いかに気丈な伯母でも限界があるにちがいない。会って顔を見せたいとも思うが、現実を受け止めるにはそれなりの勇気と覚悟がいるものだ。電話で済ませてしまうことに後ろめたさを感じながら、せめてできることをとの思いで、歳暮には食べやすい長崎のかまぼこを選んだ。

ほどなく伯母から届いた小包には、タオルやお菓子といった身の回りの生活雑貨が詰まっていた。以前は子供たちへのクリスマスプレゼントだったが、この数年で事情が変わったことを何よりもはっきりと示していた。一緒に入っていた手紙には、最近は自由に買い物にでかけることも少なくなったと書いていた。年金暮らしの後期高齢者がおかれる現実なのかもしれない。手紙には引き続き伯父の近況が書かれていた。ひとつひとつ記憶が欠けてゆく毎日のなかで、ひとつだけ嬉しい出来事があったという。それは、伯母が夕食にお歳暮のかまぼこを出したときのことだったらしい。

「ねぇおとうさん、このかまぼこ、おいしいね」
「・・・・・」
「これ、どこのかまぼこかわかる?」
「ひろしくんが送ってきた長崎のかまぼこに決まっとるじゃないか!」
「そう、わかっていたのね...」

夫婦二人きりの食卓で、伯母は涙を流しながら喜んだという。伯父はおそらく「なぜそんなことを聞く」とでもいいたそうな顔をしながら、黙々とかまぼこを口に運んでいたに違いない。"

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溝田 浩司

1990年4月入社
福岡県出身
福岡大学卒
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