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NCCアナウンサー  溝田 浩司ブログ:2008年5月

ある詩人

"夏を思わせるようなひざかりの午後。国道沿いの歩道は不思議なくらいに静かで、路 面には乾いた日差しがまんべんなく降り注いでいた。目の前の横断歩道は赤信号だった。 右を見ても左を見ても一台の車もいない。それどころか通りを歩いている人さえ見かけ ない。横断歩道は5、6歩もあるけば渡ってしまえるほどの幅だった。「このまま渡って しまおうか・・・」。ほんの数秒間、映像が止まったかのような静寂ののち信号は緑色 に変わり、とたんに人や車の往来が始まった。そんなとき、ふと脳裏に浮かんだのが詩 人、藤川幸之助さんのことだった。

「おむつ」という詩がある。(「満月の夜、母を施設に置いて」中央法規出版) 認知症の母は、ドライブの途中車の中でウンコをしてしまう。藤川さんは母を公衆ト イレに連れてゆき、男子トイレの中でおむつを替え、ウンコのついたお尻を「母が私の ウンコを拭いてくれたように」何度も何度も拭いてやるのだ。
藤川さんの母は、いまは施設に暮らしている。もう言葉を交わすことはかなわないそ うだが、そばにいて手を握り「手のぬくみ」を互いに感じるとき、言葉を超えて伝わっ てくるものがあると藤川さんは書いている。そして、「存在するだけ」で多くのことを 教えてくれるとも。母へのただひとつきりの愛が、藤川さんの詩を紡ぎだしているのだ と思う。

母は、父は、まだ生きているのではないかと思うときがある。離れて暮らしていた時 間が長かったせいか、葬式を済ませ幾度かの法事も終えたというのに、いまもあの家で 何事もなく無事に暮らしている姿が目に浮かぶのだ。どこのサラリーマンにもあるよう に、「仕事が忙しいから」ということにして、しばらく会いに行っていないだけなのだ という意識が、心のどこかにあるような気がしている。いまさら親の死を否定するわけ もないが、もう何年も墓参りにいっていないという後ろめたさがそう意識させていると いえばそうかも知れない。

藤川さんが認知症の母と向き合ってきた時間は長い。その1秒1秒に刻まれた経験の 誠を他人のだれが知ることができるだろうか。認知症だけではない。藤川さんの身に起 きた出来事は、著書「手をつないで見上げた空は」(ポプラ社)に告白されている通り だ。そんな藤川さんの詩を読むとき、母への愛をひたすら言葉に紡ぐ藤川さんを思うと き、一時でも顧復之恩を忘れ身勝手に生きる自分を恥じるのである。もう会えないこと を口実に、親の恩に背を向けて生きてはいないかと自問するのである。

日中の喧騒を飲み込むように夕闇が降りると、週末の駅前は昼間とは違ったにぎわい を見せる。着飾った若者たちは顔を寄せ合いながら甲高い笑い声をあげ、どこへ行くと もなく佇んでいる。月が輝き始めた空には街灯が灯り、行き交うタクシーのライトや店 のイルミネーションが、少女たちの胸元にゆれる安っぽいアクセサリーを照らしていた。 傍らを、夕食だろうか食料品の入ったビニール袋を指に提げた老人が、まっすぐに前を 見つめたまま通り過ぎて行く。

しばらくすると、一つ目の路面電車が青白い火花を爆ざしながら石畳のホームへ滑り 込んできた。それまで黙って立っていた人々が、吸い寄せられるように電車の入り口へ 集まった。その群れに気圧されていると、電車はブザーを鳴らしてドアを閉め走り去っ てしまった。"

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溝田 浩司

1990年4月入社
福岡県出身
福岡大学卒
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