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NCCアナウンサー  溝田 浩司ブログ:2008年1月

ありがとう

"成人の日のことを思い出す。
両親に買ってもらった一番安いねずみ色のスーツを大事に着ていった。式典は ごく短いものだったと思う。市長があいさつして、新成人代表の言葉があり、 最後に長渕剛の「乾杯」が流れた。その演出に素直に感動したのだから、とに かく当時からまじめな人間であったことは間違いない。

その夜、小学校のときの友人と数年ぶりに再会した。集まったのはなぜか近く の公園だった。だれかがペンギンのイラストが入った樽入りのビールを買って きたが、好んで飲む者はいなかった。金もなければ行くあてもなく、特別大き な夢を抱いていたわけでもなかった。凍てつく冬の夜空には、無数の星が輝い ていた。あれからみんな、どうしているだろうか。

便利なもので、ネットを開けば簡単に生まれた当時の出来事を知ることができ る。「人口一億人突破」「交通事故死、最悪の1万3904人」「ママレモン発売」 「はがき一枚7円」「ビートルズ来日」「美空ひばりの悲しい酒ヒット」・・・。
三種の神器がカラーテレビ、カー、クーラーの3Cに変わった時代、戦後最長 のいざなぎ景気の只中に私は生まれた。

特別裕福だったはずはないが、「町内で最初に洗濯機を買ったのはうちだった」 と母親が自慢げに話していたのを思い出す。ちょっと見栄っ張りで、明るい母 だった。中学から高校に進んだころ、母は仕事に出るようになった。学費がか かる時期だったのだと思う。父母ともに無趣味で、どこかへ遊びにいくことも なく、ただひたすら子供を育て家族を守った。

母が継ぎはぎをして穴をふさいだ靴下を、「絶対に履かない」といってつき返し たことがある。ひと針ひと針、丁寧に糸を通したその靴下を、母は悲しそうに ひろいあげた。心が痛まないわけではなかった。しかし、思春期がそれを許さ なかった。母が涙を見せたのはこのときばかりではなかったと思う。

母とは、ついに別れの言葉を交わすことができなかった。真夜中の病院に着く と、ベッド横の機械が弱々しく心拍数を数えていた。まだ体温のある手を握り、 ただ「おかあさん」と呼び続けることしかできなかった。そばには、父がなす すべもなく立ちつくしていた。

あれから17年。いまになって思うことがある。なぜ、生きているうちにひとこ と「ありがとう」と言えなかったのか。
生んでくれてありがとう、と。
育ててくれてありがとう、と。
わがままを許してくれてありがとう、と。
甘えさせてくれてありがとう、と・・・。

にあわないスーツを着て、生意気な口を利きながら成人式の会場にむかった息 子を、父と母はどんな思いで見送ったのだろうか。
今となっては、そんなことさえも聞くことができない。"

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溝田 浩司

1990年4月入社
福岡県出身
福岡大学卒
0型

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