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NCCアナウンサー  溝田 浩司ブログ:2007年9月

バナナの親子

"その車は、私の家のすぐ目の前の道路に停車した。道路といっても、当時はまだ水溜り ができるようなでこぼこの砂利道だったと思う。車から降りた背広姿の男の回りに小さな 人だかりができていた。
「麻生さんが来たばい。」
そう言ったのが父親だったか母親だったか記憶はない。ただそう言われ、有名人見たさ に私はその人だかりに入り「麻生さん」と握手をした。当時町内には「麻生さん」のポス ターがあちこちに貼られていたので、顔だけはよく知っていた。たしか黄緑色のイメージ カラーを配したポスターだったように思う。その手は、スマートな顔立ちとは違ってゴツ ゴツと固く、そして力強かったことを覚えている。握手とはこのようにするものなんだと、 その時私は思ったものだ。あれから数十年。あの麻生太郎さんが3度目の自民総裁選に臨 み、そして破れた。

子供のころから「麻生さん」はなじみの深い名前だった。地元のスーパーといえば「あ そう売店」。いまはどうだか知らないが、その当時はどこにでもあって、買い物にいくこと を「あそうに行ってくる」と言っていたほどだ。子供のころ、買い物かごを下げた母親と 一緒に、毎日のようにあそう売店に通ったのを思いだす。その後、あそう売店はAsoに名前を 変えたが、いまも変わらずに市民に親しまれているに違いない。

あのお屋敷の門が全国のテレビに映し出されたのは、確か最初の総裁選の時だった。東 京のアナウンサーが門の前でリポートを撮り、すぐそばの畑で鍬を振るうお年寄りにイン タビューをする。「ああ、まだあそこは畑のままなんだ...」とテレビを見ながら懐かしさに 包まれた。お屋敷といっても、両親を含めその姿を見たものはほとんどいなかった。とい うのも、麻生邸は小高い丘、というより古墳のような山の中にあり、そのまわりは延々と 高い塀に囲まれ、更にうっそうとした森に囲まれていたからだ。門の前は意外に小さな道 で、車一台が通れるくらいだったと思う。もしかしたら一方通行だったかもしれない。自 転車で通ることもよくあったが、門はいつも閉まっていて中を見ることは結局一度もかな わなかった。

麻生さんを応援しようと、地元では「太郎ちゃん饅頭」なるものが登場したと新聞が伝 えていた。記事には饅頭を手に、にっこり笑った女性の写真が添えられていた。饅頭は白 星を願って白あんなのだとか。福岡8区、とりわけ飯塚市民はさぞ盛り上がったに違いな い。そしてテレビは漫画通を取り上げ、なぜかアキバ系の皆さんが麻生さんを応援してい た。福田さんの優位がわかっていても、報道ステーションの麻生さんは国民にさわやかな 笑顔を懸命にアピールしていた。総裁選当日、私はというと、秋とは思えない天気のなか、 娘の運動会で「バナナの親子」を踊っていた。♪バナナのパパはパパバナナ!バナナのマ マはママバナナ!バナナの子どもはコ、バナナ!パパバナナ、ママバナナ、コバナナ・・・。"

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溝田 浩司

1990年4月入社
福岡県出身
福岡大学卒
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