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NCCアナウンサー 溝田 浩司ブログ:2007年6月
ひまわり
"その日はひさしぶりの大雨だった。坂道をとめどなく流れる季節はずれの雨は、誰かが降らせたのではないかと考えてしまうほど意外に感じられたことを覚えている。すぐ近くにもかかわらず車を走らせた私は、コンクリートのブロックが積み上げられた臨時の駐車場に車を入れ、矢印に従って投票所のある集会所まで歩いた。
選挙がなければ行くことはなかったかもしれないその集会所は、街中にもかかわらず覆いかぶさるような崖の下にあった。雨はあいかわらずアスファルトを打ち続けている。傘のおかげで上半身は濡れずに済んだが、ジーンズの裾は跳ね返った雨で重たくなっていた。
そんな天気にもかかわらず投票所の中は奇妙な高揚感に包まれていた。私のほかに二人ほど有権者がいただろうか。雨音だけが響くその室内で、5、6人ほどもいる市職員の視線が私の背中を貫いていた。史上類を見ない選挙ゆえの雰囲気を肌に感じながら、ともかく投票を終え出口に向かった。ところが、持ってきた傘がない。かわりに見覚えのない破れ傘が一本捨てられていた。つまらない気持ちになって投票所をあとにした。
翌朝バスの車内から眺めた浦上川は薄茶色の濁流になっていた。ゆるやかに海へ向かうその流れを見ているうちに、昨日の雨が街中の不浄のすべてを洗い流してくれたように思えてきた。川沿いに並ぶ南京櫨の新緑が美しかった。
亡くなった伊藤さんとは、何度か酒席を共にさせていただいたことがある。飲むとすぐに顔が赤くなっていたように思う。身長は何センチあっただろうか。円卓に座っていても隣に行くと、見上げるようにして話しをしたような気がする。趣味の話しになったっとき、「私は花が好きでねぇ、家にいるときは結構土いじりをしてるんですよ」と話してくれたのを思い出す。
3期目の当選のときだったか、翌朝の取材で自宅を訪れたとき玄関横に小さな花壇があるのを見つけた。市長就任当初いわゆる平和行政への取り組みを問われ、時に感情をあらわにすることもあった伊藤さんだが、ここでひとり草花に手を添える時間もあったのだ。市内の花壇に花が増えたのも伊藤さんになってからだった。しかし皮肉にも、満開のひまわりが見下ろす選挙事務所の前で、伊藤さんは命を奪われた。
無念だったに違いない。悔しかったに違いない。痛かったに違いない。花が大好きだった「いっちょう」さん、安らかにお眠りください。"
選挙がなければ行くことはなかったかもしれないその集会所は、街中にもかかわらず覆いかぶさるような崖の下にあった。雨はあいかわらずアスファルトを打ち続けている。傘のおかげで上半身は濡れずに済んだが、ジーンズの裾は跳ね返った雨で重たくなっていた。
そんな天気にもかかわらず投票所の中は奇妙な高揚感に包まれていた。私のほかに二人ほど有権者がいただろうか。雨音だけが響くその室内で、5、6人ほどもいる市職員の視線が私の背中を貫いていた。史上類を見ない選挙ゆえの雰囲気を肌に感じながら、ともかく投票を終え出口に向かった。ところが、持ってきた傘がない。かわりに見覚えのない破れ傘が一本捨てられていた。つまらない気持ちになって投票所をあとにした。
翌朝バスの車内から眺めた浦上川は薄茶色の濁流になっていた。ゆるやかに海へ向かうその流れを見ているうちに、昨日の雨が街中の不浄のすべてを洗い流してくれたように思えてきた。川沿いに並ぶ南京櫨の新緑が美しかった。
亡くなった伊藤さんとは、何度か酒席を共にさせていただいたことがある。飲むとすぐに顔が赤くなっていたように思う。身長は何センチあっただろうか。円卓に座っていても隣に行くと、見上げるようにして話しをしたような気がする。趣味の話しになったっとき、「私は花が好きでねぇ、家にいるときは結構土いじりをしてるんですよ」と話してくれたのを思い出す。
3期目の当選のときだったか、翌朝の取材で自宅を訪れたとき玄関横に小さな花壇があるのを見つけた。市長就任当初いわゆる平和行政への取り組みを問われ、時に感情をあらわにすることもあった伊藤さんだが、ここでひとり草花に手を添える時間もあったのだ。市内の花壇に花が増えたのも伊藤さんになってからだった。しかし皮肉にも、満開のひまわりが見下ろす選挙事務所の前で、伊藤さんは命を奪われた。
無念だったに違いない。悔しかったに違いない。痛かったに違いない。花が大好きだった「いっちょう」さん、安らかにお眠りください。"
2007年06月02日
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