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NCCアナウンサー 溝田 浩司ブログ:2006年9月
土地の記憶
"去年5月、私はアメリカニューヨークのWTC跡に立っていた。すでにビルの瓦礫はなく
四角い敷地を背の高い金属性のフェンスが囲
っていた。そばには案内所が設けられ、いく
つかのパンフレットが乱雑にではあるがボッ
クスの中に並べられていた。訪れる人に笑顔
こそないが、涙を流す人もいない。説明版を
見たあと、みな一様になにもない空を見上げ
ていた。
なにか突き上げるような感情を期待していた のかも知れない。しかし、繰り返しテレビで 流れたテロの現場は、その時なにも語りかけ てはくれなかった。ただ、忙しくブルドーザ ーが行き交う工事現場に過ぎなかった。私は 現実味のない青空を見上げながら、ただの観 光客でしかいられない自分を責めた。
想像力がなかったわけではない。夥しい死は 確かにそこにあった。瓦礫から掘り出された 肉体の破片の一つ一つがその事実を教えてく れる。だが、その死をどれだけ私は知ってい るだろうか。叫び、祈り、絶望・・・。それ ぞれの死に触れずして、土地の記憶を聞くこ とは難しい。上空から視線を戻すと、足元に は案内書のパンフレットが散らばっていた。
長崎市の爆心地公園にも、季節を問わず多く の人が訪れる。この季節、短パンにリュック 姿の外国人もめずらしくない。彼らは原爆落 下中心碑で、その上空を見上げるに違いない 。しかし、ナガサキの声を彼らはどれだけ聞 いているだろうか。外国人に限らず、その声 を多くの人に届ける責任が、私にはあるのだ と思った。"
なにか突き上げるような感情を期待していた のかも知れない。しかし、繰り返しテレビで 流れたテロの現場は、その時なにも語りかけ てはくれなかった。ただ、忙しくブルドーザ ーが行き交う工事現場に過ぎなかった。私は 現実味のない青空を見上げながら、ただの観 光客でしかいられない自分を責めた。
想像力がなかったわけではない。夥しい死は 確かにそこにあった。瓦礫から掘り出された 肉体の破片の一つ一つがその事実を教えてく れる。だが、その死をどれだけ私は知ってい るだろうか。叫び、祈り、絶望・・・。それ ぞれの死に触れずして、土地の記憶を聞くこ とは難しい。上空から視線を戻すと、足元に は案内書のパンフレットが散らばっていた。
長崎市の爆心地公園にも、季節を問わず多く の人が訪れる。この季節、短パンにリュック 姿の外国人もめずらしくない。彼らは原爆落 下中心碑で、その上空を見上げるに違いない 。しかし、ナガサキの声を彼らはどれだけ聞 いているだろうか。外国人に限らず、その声 を多くの人に届ける責任が、私にはあるのだ と思った。"
2006年09月11日
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