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NCCアナウンサー  溝田 浩司ブログ:2006年2月

ベランダの風景 東京編

"手帳を読み返すと10月9日の欄に「ビオラ購入」とある。テレビ朝日に着任して最初の日曜日のことだ。まだどこにコンビニがあるのかさえわからなかったころで、アパート周辺の地図は真っ白だった。その花屋は駅に向う途中にあった。表には、多くの花屋がそうであるように色とりどりの花々が並んでいて、街角に移り変わる季節を届けていた。戸惑うことの多かった最初の一週間を終えたその週末、まるで乾いたのどを潤すかのように花屋へ急いだのを思い出す。珍しい色を選んで5株買い求めたのだが、しかしなぜかそのビオラはすぐに花を終え、あとは青々とした葉を繁らすばかりだった。
あれから5ヵ月。なかばあきらめかけていたビオラがついに息を吹き返した。暖かい雨が大地を叩く日曜日の朝、窓を開けてビオラの鉢をのぞき込むと、繁みの中に色づいたつぼみがいくつも顔をだしていた。氷点下の冬を耐え、今ようやくこの小さなベランダに春の訪れを告げたのだ。 あの花屋にはいま、色鮮やかなチューリップやプリムラが並んでいる。思わず足を止めて財布を取り出したが、少し考えたあとカバンに戻した。そう、来月下旬にはもうトーキョーを離れなければならないのだ。"

ベランダの風景 東京編

"「新聞記者」という人に会ったのはその時が初めてだった。「君の上司になる人だよ」地下街の薄暗い喫茶店のような場所でそう紹介された私は、その時ただ頭を下げありきたりな挨拶をしたように思う。だが、分厚い眼鏡の奥に沈むマムシのような目は今でもはっきりと覚えている。その目は、何も知らない薄っぺらな学生の私をはるかに見透かしていた。 その新聞記者がなぜテレビ局のデスクになったのか、当時その理由など考えることはなかったが、彼はとにかく言葉にこだわった。「無謬(むびゅう)性を目指せ」。言葉を間違える度に彼は私をそう諭した。あまりの緻密さ故に反発したことも少なくなかった。未知なる映像の世界に命を張った新聞記者と、血気盛んな世間知らずは度々衝突した。理由などとうに忘れてしまったが、刺し違えてもかまわないとさえ考えたこともあった。 しかし、どんなに口論を重ねてもその新聞記者を嫌いになることは一度もなかった。「父さん・・・」。ある日そんなことを口走りそうになって、あわてて「デスク・・・」といい直したこともあった。結局のところ、甘えていただけなのかも知れない。
そのころ毎日のように通った居酒屋での出来事を思い出す。真っ白なカッターシャツの袖に醤油のしみを作ってしまった私に対し、彼は熱いおしぼりを用意させ、何度も何度もそのしみをぬぐってくれた。「こういうのは、早いうちにとっておかないとダメなんだ・・・」マムシの目が眼鏡の奥で笑っていた。あれから16年。彼ほど強くやさしい人に出会ったことはない。

松本成比 2005年2月13日没 享年60。

翌日の通夜の日、彼の机を整理しているとマットにはさまれた一枚の紙片に気づいた。いつ書いたものかはわからなかったが、そこには万年筆で「擱筆(かくひつ)。筆を置くこと。文章を書き終えること」と書いてあった。その日は、奇しくも新聞休刊日だった。"

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溝田 浩司

1990年4月入社
福岡県出身
福岡大学卒
0型

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